ごあいさつ

同窓会閉会によせて

同窓会会長  出口 八重子

この度、看護学校同窓会は令和6年11月30日をもちまして閉じることになりました。
昭和22 年の開校以来64 年間の歴史ある看護学校で学べたことは私たち卒業生の誇りです。また、寮生活や学校生活での同級生や先生との関わり、実習でのスタッフや患者さんとの出会いをとおして学びを深めることで看護の礎となり、2,589名が巣立ちました。現在、多くの同窓生が全国各地で活躍されていることはとても喜ばしい限りです。
今回、看護学校同窓会のホームページ作成許可を現病院長 髙山隼人先生にいただき、病院のホームページの中に開設することができました。閉校記念誌「あかしやの道」も入っており、学校生活や記念行事などがご覧いただけます。
閉校後、ご協力いただきました同窓会会員の皆様には感謝申し上げます。
皆様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。

全 景

独立行政法人国立病院機構 長崎医療センター 全景

独立行政法人国立病院機構 長崎医療センター 全景

校 旗

校章・校旗および略旗

校旗
略旗

校章の趣旨

5枚のあかしやの葉は、本校の教育理念の「思いやり」「創造性」と「基本的知識」「基本的技術」「協調性」を、お互いが支え合いながら大地にしっかり根を張って欲しいという願いが込められています。

歴代校長・副校長
・教育主事

歴代校長

  • 篠 崎 哲四郎 (S22年10月 ~ S40年5月)
  • 平 井  孝 (S40年5月 ~ S44年4月)
  • 横 内  寛 (S44年4月 ~ S57年12月)
  • 寺 本 成 美 (S58年8月 ~ H11年4月)
  • 矢野 右人 (H11年4月 ~ H14年4月)
  • 米倉 正大 (H14年4月 ~ H23年3月)

歴代副校長

  • 広 瀬 知 治 (S33年4月~S38年2月)
  • 吉浦 一雄 (S38年2月~S40年6月)
  • 宇田川 博 (S40年6月~S47年3月)
  • 村島 二郎 (S47年9月~S56年3月)
  • 岩崎 榮 (S56年4月~S57年11月)
  • 寺本 成美 (S57年12月~S58年7月)
  • 前田 蓮十 (S58年8月~S59年9月)
  • 廣田 典祥 (S59年9月~H元年3月)
  • 馬場 尚道 (H元年4月~H9年3月)
  • 矢野 右人 (H9年4月~H11年3月)
  • 米倉 正大 (H11年4月~H14年3月)
  • 向原 茂明 (H14年4月~H16年3月)
  • 宮下 光世 (H16年4月~H19年3月)
  • 中原 賢一 (H19年4月~H23年3月)

歴代教育主事

  • 大庭 静枝 (S24年7月~S32年3月)
  • 酒井 ソネ (S32年4月~S36年12月)
  • 野口 絹江 (S37年4月~S55年9月)
  • 岩永 美代子 (S56年10月~S59年3月)
  • 福田 悦子 (S59年4月~S63年9月)
  • 永山 真理子 (S63年10月~H4年3月)
  • 内海 文子 (H4年4月~H7年9月)
  • 有岡 八重子 (H7年10月~H11年3月)
  • 石井 南美穂 (H11年4月~H15年3月)
  • 佐保 美恵子 (H15年4月~H20年3月)
  • 木下 歌壽美 (H20年4月~H22年3月)
  • 安浪 小夜子 (H22年4月~H23年3月)

沿革

学校の沿革

昭和21年 日本産婆看護婦保健婦協会設立
昭和22年 10月1日 国立大村病院附属甲種看護婦養成所として開校1学年40名(入学生18名)
日本産婆看護婦保健婦協会第1回通常総会産婆から助産婦へ
昭和23年 6月30日 「国立大村病院附属高等看護学院」と名称変更
厚生省に看護課設置
医療法・医師法・歯科医師法・保健婦助産婦看護婦の制定
昭和24年 6月14日 学則改正、学科目及び教授時間数、教職員について(専任教員3名の中、1名を主任とする)1学年定員35名に変更
昭和25年 3月25日 甲種看護婦養成所指定認可(発足にさかのぼり認可)
完全看護・完全給食制度実施
第1回甲種看護婦国家試験実施
昭和26年 12月12日 保健婦助産婦看護婦養成所指定規則により学則改正(学科目及び教授時間数について)
甲種・乙種看護婦区分から看護婦、准看護婦へ
日本初の4年制大学発足(昭和27年 高知女子大学)
保健婦助産婦看護婦法施行令制定(昭和28年)
昭和31年 7月 国立大村病院附属高等看護学院執務要領制定
12月29日 学院新校舎へ移転(通称あかしやの丘)
昭和32年 6月16日 看護学校養成所指導要領の改正
2年課程看護婦養成所発足
完全看護から基準看護へ(昭和33年)
昭和35年 4月1日 1学年定員40名に変更
昭和38年 4月1日 学則一部改正(病理学、病院管理増)
高等学校衛生看護科発足(昭和39年)
国立病院看護職員の夜間看護手当新設(昭和40年)
厚生省看護教員養成講習会開始(昭和41年)
昭和42年 11月26日 「学院創立20周年記念式典」挙行(20年のあゆみ発刊)
第1次カリキュラム改正(昭和42年)
昭和43年 4月1日 新カリキュラムによる教育開始(第22回生より)
看護人(男性)から看護士へ
昭和46年 4月1日 専任教員1名増員(総員4名)
昭和47年 9月23日 学院校舎火災(不慮の事故)翌日より元一病棟を仮校舎で授業開始
9月30日 「学院開学25周年記念行事」挙行
昭和48年 4月1日 1学年定員50名に変更
老人医療無料化制度
ナースバンク制度創立(昭和49年)
7月12日 学院校舎・学院寮竣工記念式典挙行
昭和50年 4月2日 「国立長崎中央病院附属看護学校」と名称変更
育児休業法制定
昭和51年 4月1日 学校教育法に基づき「専修学校」となる推薦入学制度採用
昭和52年 11月1日 「開学30周年記念行事」挙行
厚生省看護研究研修センター:幹部看護教員養成課程開設
第16回ICN東京大会開催
昭和54年 5月1日 学則準則の一部改正
初の看護系大学院開設(千葉大学)
昭和56年 4月1日 学則準則改正(履修及び授業時間の一部変更)
厚生省看護研修研究センター:保健婦養成所教員養成課程開設
昭和59年 7月1日 学則一部改正
昭和60年 3月22日 授業料の特例に関する取扱規則準則の一部改訂
12月12日 看護学校の入学資格についての指定一部改正
昭和62年 9月26日 「開学40周年記念行事」挙行
看護職副院長第1号誕生
第2次カリキュラム改正(平成元年)
平成2年 4月1日 保健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則改正
新カリキュラムによる教育開始(第44回生より)
国家試験年2回から年1回へ
5月12日を「看護の日」と制定
訪問看護制度創設(平成4年)
看護婦等の人材確保の促進に関する法律施工(平成4年)
平成6年 3月30日 看護学校校舎及び学生宿舎改修工事竣工
4月1日 男子入学制度開始
10月24日 体育館工事竣工
平成7年 1月7日 看護学校専門課程の修了者に専門士の称号を付与
日本医療機能評価機構設立
4月1日 学則変更
らい予防法廃止(平成8年)
初の専門看護婦誕生(平成8年)
第3次カリキュラム改正(平成8年)
平成9年 3月6日 保健婦助産婦看護婦指定規則改正
初の認定看護師誕生(平成9年)
4月11日 改正カリキュラムによる教育開始(第51回生より)
10月18日 「開学50周年記念行事」挙行
平成10年 3月26日 在宅看護論実習室 学生寮1階に設置
「厚生省」から「厚生労働省」へ(平成11年)専修学校の専門課程卒業者に大学編入資格(平成11年)
平成13年 4月1日 「国立病院長崎医療センター附属看護学校」と名称変更
平成14年 3月1日 保健婦助産婦看護婦法改正により保健師、助産師、看護師と名称変更
「看護師等による静脈注射の実施について」厚生労働省以医政局通知
4月1日 専任教官の増員(4人から5人へ)
看護師養成所2年課程に通信制を適用(平成15年)
平成16年 4月1日 設置主体の変更に伴い「独立行政法人国立病院機構長崎医療センター附属看護学校」と名称変更
平成17年 4月1日 学則準則変更(入所定員の変更)1学年定員40名となる
平成18年 1月20日 社会人入学生制度を再開
助産師・保健師になるには看護師免許が必要となる
平成19年 4月1日 学則(教育課程)の変更
カリキュラム改正(政策医療看護学増)
看護記録を診療記録として医療法に規定
9月29日 「開学60周年記念行事」挙行
平成20年 4月1日 学生募集中止
第4次カリキュラム改正
大分県立看護科学大学でナースプラクティショナー教育開始
8月 学生寮改修工事(夏季休業期間中)
12月26日 学生寮が活水女子大学に貸与となる
平成21年 2月14日 国立病院機構長崎医療センター附属看護学校23年記念行事委員会発足
4月1日 学則改正
平成23年 3月8日 本校最後の卒業式(第62回生)
記念碑除幕式
3月13日 閉校記念行事挙行
4月1日 閉校
卒業生 総数2589名

同窓会の沿革

昭和22年 10月1日 国立大村病院附属甲種看護婦養成所として開設
1学年定員40名(入学生18名)
学院長 篠崎哲四郎 就任
昭和23年 4月26日 第2回生入学(入学生42名)
6月30日 「国立大村病院附属高等看護学院」と名称改称
昭和24年 6月14日 教務主任 大庭静枝 就任 一学年定員35名
専任教員3名 内1名主任
昭和25年 9月12日 第1回生卒業(卒業生12名)
国家試験全員合格
昭和28年 7月12日 同窓会結成(開学より7年目)
昭和31年 2月7日 学院寮(元第3倉庫) 学生食堂(元車庫) 改築工事完成(120名収納可能)
2月21日 新学院寮へ移転
12月29日 学院校舎(通称あかしやの丘)竣工移転
昭和32年 4月1日 教務主任 酒井ソネ 就任
大庭静枝 配置換
昭和33年 2月13日 舎監制度設置
昭和37年 4月1日 教務主任 岩永絹江 就任
酒井ソネ S.36.12.31 退職
昭和40年 5月1日 学院長 平井孝 就任
篠崎哲四郎 初代学院長 退職
昭和42年 3月 文集「あかしや」第1号創刊 以後毎年発行
3年生に贈る(はなむけの言葉)
11月26日 「開学20周年記念行事」挙行
「学院歌制定」発表(作詞 酒井ソネ・作曲 上田英子)
記念誌20年のあゆみ刊行
昭和43年 4月1日 新カリキュラムによる教育開始
22回生より
9月3日 初代学院長 篠崎哲四郎 先生 病院葬
学生全員参加(S.43.8.25逝去)
昭和44年 2月 病院整備計画で「あかしやの丘から元3病棟」に移転
卒業記念樹も移植
4月16日 学院長 横内寛 就任
平井学院長 退職
昭和46年 4月1日 専任教員1名増員
9月1日 学院後援会設立・寮母配置(日勤のみ)
昭和47年 9月23日 学校校舎不慮の火災で焼失、元1病棟仮校舎となる
翌日から授業開始
9月30日
10月1日
「開学25周年記念行事」挙行~一連の行事実施
(一日看護婦・シンポジウム・看護展・記念講演)
テニスコート1面 同窓会寄付
記念誌発行
昭和48年 7月12日 学校校舎(2F建)学院寮(4F建)耐火構造新築完成
9月1日移転
昭和49年 4月1日 専任教員当直制廃止・寮母住み込み制となる
専任の舎監業務免除
10月29日 酒井ソネ 前教務主任 逝去
昭和50年 4月2日 国立病院(療)看護教員に教育職の俸給表適用
「国立長崎中央病院附属看護学校」と名称変更
学院→学校となる
9月1日 教務主任→教育主事 専任教員→専任教官
昭和51年 4月1日 学校教育法に基ずく「専修学校」となる
4月9日 推薦入学制度を採用
昭和52年 11月1日
11月5日
「開学30周年記念行事」挙行
(一日看護婦・シンポジウム・看護展・記念講演・記念式典・記念祝賀会・環境整備)
記念誌発行
同窓会隔年実施とする
昭和53年 4月1日 53年度入学生より給食費徴収
昭和55年 10月1日 教育主事 岩永美代子 就任
野口絹江 転出 33年間(在職)
昭和56年 4月1日 56年入学生より授業料徴収
月額2000円
昭和57年 12月27日 横内寛学校長 逝去
地方医務局長 酒井義昭 兼務
昭和58年 8月1日 学校長 寺本成美 就任
昭和59年 4月1日 教育主事 福田悦子 就任
岩永美代子 転出
昭和60年 1月7日 60年度入学生より授業料徴収額改訂
月額3000円
昭和62年 6月18日 63年度入学生より授業料徴収額改訂
月額4000円
9月26日 「開学40周年記念行事」挙行
(記念講演・シンポジウム・看護展・座談会)
記念誌発行
昭和63年 10月1日 教育主事 永山真理子 就任
福田悦子転出
平成2年 4月1日 改生カリキュラムによる教育開始
44回生より
平成4年 4月1日 平成4年度入学生より授業料徴収額改訂
月額5000円
教育主事 内海文子 就任
永山真理子 転出
平成5年 4月1日 社会人入学制度
入学生2名
平成6年 3月31日 給食制度廃止
4月1日 男子入学制度
開校以来1名入学
10月24日 体育館竣工
平成7年 3月1日 専門課程修了者に専門士称号付与
46回生より
7年入学生より授業料改訂・入学料徴収
月額6000円・入学料2000円
10月1日 教育主事 有岡八重子
内海文子 転出
平成9年 4月11日 改生カリキュラムによる教育開始
51回生より
10月28日 「開学50周年記念行事」挙行
(記念式典・記念講演・シンポジウム・座談会)
記念誌発行
平成10年 3月 在宅看護論 実習室設置
学生寮1階
平成11年 4月1日 学校長 矢野右人 就任
寺本成美 学校長 退職
教育主事 石井南美穂 就任
有岡八重子転出
平成13年 4月1日 「国立長崎医療センター附属看護学校」名称変更
平成14年 3月1日 保・助・看法の改正のより保健師・助産師・看護師と名称変更
看護婦→看護師
4月1日 学校長 米倉正大 就任
矢野右入 学校長 退職
平成15年 4月1日 教育主事 佐保恵美子 就任
石井南美穂 転出
平成16年 4月1日 「独立行政法人国立病院機構長崎医療センター附属看護学校」に名称変更
設置主体の変更に伴う
平成19年 9月19日 「開学60周年記念行事」挙行
(記念式典・記念講演・シンポジウム・祝賀会)
記念誌発行
平成20年 4月1日 教育主事 木下歌寿美 就任
佐保恵美子 転出
平成22年 4月1日 教育主事 安浪小夜子 就任
木下歌寿美 退職
平成23年 3月8日 62回生卒業式挙行
62回卒業生 36名
閉校記念碑建立
除幕式挙行
3月13日 「閉校記念行事」挙行
(記念式典・記念講演・記念パーティー)
記念誌発行
4月1日 閉校 同窓生総数 2589名
64年の歴史の幕を降ろす
平成26年 9月27日 総会
平成29年 10月28日 総会
令和6年 11月23日 最終総会

看護学校閉校後の
同窓会活動

看護学校閉校後の同窓会活動

看護学校閉校後の同窓会活動

1総会開催
1)平成26年度 総会 平成26年9月27日(土)長崎医療センター第1会議室
特別講演 講師 長崎県病院企業団企業長
長崎医療センター名誉院長 米倉正大先生
演題 日々の生活の中での認知症予防
特定行為はへき地医療を救う
―特定看護師が変える医療の未来 資料を見る
懇親会 長崎医療センター10階レストラン
2)平成29年度 総会 平成29年10月28日(土) 長崎医療センターあかしやホール
ギター演奏会 出演 山口 修氏 ギター演奏 山口純子氏 歌 資料を見る
懇親会 長崎医療センター10階レストラン

※これ以降の総会は、コロナ禍のため開催ができなかった

2会員の住所確認と名簿作成
1)住所確認 連絡員に年1回住所確認を依頼
名簿を一覧に作成し役員会で確認
2)名簿の送付 平成23年11月
平成26年5月 変更分のみ
平成29年5月 変更分のみ
3病院行事に参加

長崎医療センターで院内開催される健康フェスタ(5回)

4その他

平成26年5月 「長崎医療センター看護学校同窓会だより」送付 資料を見る

学舎の変遷

開学当時(S20年代)の病院全景 開学当時(S20年代)の病院全景

記念行事

校歌

独立行政法人
国立病院機構

長崎医療センター
附属看護学校校歌

おおらかないつくしみをこめて
作詞 酒 井 ソ ネ
作曲 上 田 英 子

動画

記念誌デジタルブック

記念碑